ガッチャマンクラウズは、ちゃんとガッチャマンしてる。

近頃、「ガッチャマンクラウズ」でツイート検索すると、大勢の人が「ガッチャマンとは関係ない」「実写やるから無理やりつけたんだろ」「名前を借りているだけ」というつぶやきが多い。

た わ け が !

きちんと見ると、ちゃんとガッチャマンしてるんだよ!!

空中ブランコから中村健治の「原作ものの扱い」を考える。

奥田英朗の小説シリーズの一つに「空中ブランコ」がある。これは変人精神科医・伊良部と、彼のもとに訪れた患者とのやりとりを描いた短編小説である。
この空中ブランコは舞台・アニメ・ドラマ化(ドラマはフジテレビ版とテレビ朝日版があり、テレビ朝日版は「Dr.伊良部一郎」の題名で放送)されており、僕は原作は読んでないものの、アニメとテレビ朝日版ドラマをリアルタイムで視聴していた。

この空中ブランコのアニメ版は2009年にノイタミナで放送された。監督はガッチャマンクラウズの監督である中村健治である。(一時期、フジテレビ公式がYouTubeで全話無料公開を行っていたが、現在は終了している。)
しかし、ただ単に映像化されたわけではなく、実写映像とアニメ映像を融合して描いており(公式ではハイブリットアニメーションと呼んでいる)患者の心理を、顔を動物に変えることで表現したり。壁がカラフルだったり。まさに中村ワールドと言えよう。(余談だが、この時にハイブリットアニメーションを用いた経験が、ガッチャマンクラウズのオープニングで活きていると思う。)
さらに設定面でも思い切っている。登場人物は一部女性から男性に変更されている。それだけではなく、伊良部もRPGのボスのごとく三形態あり、クマ(?)の着ぐるみを着た形態、大人形態、子供形態の三パターン存在している。

(注:同一人物)

一方、テレビ朝日空中ブランコであるDr.伊良部一郎も面白かった。けれどアニメ版ほどではなかった。まあ面白いといえば面白いよ。徳重聡が半分オカマみたいになっててさ。
それは勃ちっ放しのエピソードが無かったからでもない。(アニメ版の勃ちっ放しは、勃起したチ○コに悩む患者に櫻井孝宏を起用し暴れさせるという、よく放送できたなと感心するレベルの酷さである)アニメよりも「普通」過ぎたからだと思う。例えば、ドラマ版では長〜い道のりを経てようやく伊良部の診療所にたどり着くが、アニメ版のカラフルな診療所や廊下と見てしまったので普通の道に見えてしまう。空中ブランコの「おかしさ、変」が画面から伝わってこないのだ。

何故、アニメのほうが空中ブランコらしいと感じたのだろうか。
ここで一つの結論にたどり着いた。
中村健治は原作を手掛けるとき、必ず「核」や「定義」を残し、それ以外を再構築するからではないか。
空中ブランコにおいては、おそらく中村監督は「核」は「伊良部のおかしさ、変人、破天荒」にあると踏んだのだろう。よってそれを残し。それ以外をなるべく排除した。そして排除した場所を、「伊良部のおかしさ、変人、破天荒」をもとに、中村の頭に浮かんでいるアイディア(例えば伊良部三形態など)で再構築する。故に、一見空中ブランコらしくなさそうなのに、空中ブランコであるのだ。

ちなみに、核を残して再構築するという事に関しては、坂口安吾の名言や推理小説のトリックをそのままにして舞台を未来にし、現代の社会問題をも取り入れたUN-GOにも言えるだろう(こちらは水島精二會川昇だが。)

クラウズにも旧版ガッチャマンの「核」「定義」はあるのか

ここでクラウズに話を戻そう。
一話を見た時、予想通りではあったが「こんなのガッチャじゃねーよww」という批判コメントが多かった。が、前述のとおり中村監督は必ず「核」か「定義」は残すだろうと予測していたので、必ずやガッチャマン要素を入れてくる、或いはもう入っているかもしれない。と思っていた。

さらに、中村監督が前回手がけたアニメ「つり球」では、数学記号の∇(ナブラ)、魚の群れという意味のナブラ、そして北条氏の家門の三角形を接続させたほど、要素を線で結びつけていたので、ただ単にガッチャマンの名前を借りるだけではなく、いろいろなガッチャマンの要素を密につなげるだろう。とも思っていた。

そんな矢先、ニコニコ大百科ガッチャマンクラウズのスレに天才が現れた。

"36 : ななしのよっしん :2013/07/21(日) 21:50:24 ID: B2RZr7n1/V
旧版の敵の秘密結社ギャラクターが「ギャラックス」利用者の総称ってのが面白い
はじめやパイマンやO.Dもギャラクターなわけでしょ?ガッチャマンなのに

他にもジョーの武器が炎の羽手裏剣だったり
旧ベルクカッツェがOPに一瞬映ったり(O.Dと同じポーズで)
旧作を観てるからこそ気づける要素があるってのはイイネ

「こんなのガッチャマンじゃない!」「ガッチャマンである必要が無い!」って言う人の気持ちもわかるけど
ちゃんと見れば想像以上にガッチャマンの新作してることに気づくはず"
http://dic.nicovideo.jp/b/a/%E3%82%AC%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%BA/31-#36

ちなみに、旧ベルクカッツェはこのシーンである。ツノとマントが確認できる(二回目のサビのところ)

こちらが旧版のベルクカッツェ。(おはようガッチャマン公式サイトより引用)

やはり中村健治だ。早速繋げてきやがった。

もっと追究すると、旧版ベルクカッツェが時折しぐさが女性のようになるが、O.Dもオネエ口調なので女性的である。
さらにO.Dの声優である細見大輔は中村監督のアニメ「C」の三國を演じているが、オープニングでのO.Dのように第一話で両手を広げ落下する。


(この動画の3:50のあたりから)

ここまで凝っているのだから旧カッツェとO.Dはなにかしらの関係があるだろう。そして、そこに中村健治の考える「旧カッツェの核」または「旧カッツェの定義」があるに違いない。(念のために書くが、この記事を執筆しているのは四話終了時点であるから、この記事を読んでいる人の中には、既に関係が明かされている、要するにネタばらし回を見た為に「核」「定義」を知っている人もいるかもしれない)

(8/9追記)↑などど偉そうに語ったが完全にミスリードをやらかしていたことをガッチャマンクラウズのOP映像を初代と比較正当化解説 - 玖足手帖-アニメ&創作-で痛感。
クラウズ版カッツェがルイルイと融合→旧版カッツェに変身。のようだ。
両手を広げてダイブは、ただ単に中村監督が好きなシチュエーションなだけかもしれない。
しかし、第一話でのモブ達の会話から、クラウズ版ではあくまでも都市伝説的扱いを受けていることから旧版とクラウズ版はパラレルワールド的なものであることが分かるので、キングダムハーツシリーズにおける無印トロンのワールドとレガシー版トロンのワールドに両方訪れたことのあるソラのように(やったことがある人しか分からない例えで申し訳ない)カッツェは旧版の宇宙の並行世界であるクラウズ版の宇宙を訪れた。ということだろうか。しかし中村健治がそんな簡単な仕掛けをかけるとも思えないので、裏をかいてきそうだ。


繋げたのはこれだけではない。
多くのクラウズ考察記事が出来ており、(アニメ『ガッチャマンクラウズ』語り大流行中!〜クラウズ論壇の誕生〜を参考の事)その中で「総裁X」と「ギャラクター」の名前がそれぞれ「SNSをつかさどる人工知能」と「SNSユーザー」に襲名されていることに触れている人は多い。
しかしもう一度立ち止まって考えてみてほしい。このガッチャマンクラウズの監督は中村健治であることを。ガッチャマン視聴者に向けた単なるファンサービスであるはずがない。深く繋げているはずなのだ。

そこで、旧版の総裁Xとベルクカッツェ、ギャラクターの関係を見てみる。(といっても、旧版ガッチャマンが放送されていた頃は、僕は生きていないのでWikipediaで調べる程度なのだが…)
総裁Xは旧版では宇宙人で、ベルクカッツェは総裁Xに仕えるギャラクターのリーダー、一般的なギャラクターはカッツェや隊長などの上司に仕える部下だ。

続いて総裁X、ベルクカッツェ、ギャラクターをそれぞれ詳しく、クラウズ版と比較して見てみる。

まず、総裁Xは宇宙人であるが、最初は宇宙人ではなく「ベルクカッツェの作り出した幻」という設定だったが、分かりづらいという理由で没になったそうだ。
一方クラウズ版では総裁Xは巨大SNSであるGALAX(ギャラックス)を管理する人工知能である。ユーザーであるギャラクターの要望に応え、解決案を提案する。
かなり強引な論であるが、クラウズ版の総裁Xも幻ではなかろうか。
iPhoneには音声認識機能Siriがあり、クラウズ版総裁Xとまではいかないけれど、質問すれば答えを返してくれる。
しかしSiriには実体が無い。つまり、あたかもそこに人が存在し、何か言ってくれる点では、ある意味Siriは幻なのだ。それにクラウズ版総裁Xは答えを返すどころか、具体例をもって解決方法を提示してくれるので、Siriの超上位互換と言っていい。総裁XはSiri以上に幻に近い存在だ。

次にベルクカッツェ。旧版もクラウズ版も変装する点では共通しているが、クラウズ版の変装を深く見ていくと、これがとても興味深い。クラウズ版ベルクカッツェは変装し、本人になりきって犯罪をする、所謂「なりすまし」である。さらに口調は「メシウマwwwwwww」や「オワタwww」などの、2chなどで人を叩くときの口調である。つまり、旧カッツェから「変装」を残したまま、それをクラウズ版では「ネットにおける、匿名をいいことに炎上を起こす人々」「現代における変装による犯罪の一例(例えば有名人、政治家を装った偽アカウントによる誹謗中傷やデマ)」にしている。
さらに、旧版は主に作戦を考案し隊長らを指揮する役割であり、つまり自分から手を汚しに行くことはほとんどない。現実におけるなりすましも、なりすまされた本人に全ての罪をかぶせるし、匿名での集団による炎上も、目に見えない&多人数であるので名誉棄損で訴えられることもほとんどない。これがクラウズ版の「決して自分の手は汚すことなく、星を滅ぼす悪魔」(四話のO.Dとパイマンの会話から)に繋がっており、まさに2013年にふさわしいベルクカッツェになっているのだ。

次にギャラクター。旧版はベルクカッツェや隊長に仕える部下であるが、隊長はベルクカッツェ、ベルクカッツェは総裁Xにそれぞれ仕えているため、間接的ではあるがギャラクター達は総裁Xに仕えている。言い換えれば、大元の総裁Xがいなければギャラクターは何もできないのだ。
クラウズ版では、ギャラクターはSNSであるGALAXのユーザーの意味であるが、旧版を踏まえれば「大元の総裁Xが無ければユーザーは何もできない」となる。ガッチャマンクラウズの世界においては就職から救助活動までギャラクシー、もとい総裁X任せであるから、それが無くなればガッチャマンクラウズの世界にいるほぼすべての人間は何もできなくなるのは明白である。よってクラウズ版では旧版での総裁Xとの依存関係をそのまま踏襲していることがわかる。

以上より、ガッチャマンクラウズは旧版ガッチャマンの「核」や「定義」をもとに、現代に合わせて変換しており、決して名前だけを借りた存在ではないことが分かっていただけただろうか。ましてや本編を数秒見ただけで、外見が全く違うと言ってガッチャマンの名前を借りただけの糞アニメだと罵るのは言語道断である
勿論、ここで述べたこと以外にもまだまだ旧版ガッチャマンから踏襲したり、核を定義を引き継いだ設定は多いだろう。(この考察だって、大鷲の健という意味でのガッチャマンには一切触れてないし。)
ガッチャマンクラウズは、はじめを中心にガッチャマンメンバーとギャラクシーの事件を扱っていく物語だろうが、(中村健治作品は最終回になるまでメッセージや問いかけが全く読み取れないので、こういう書き方になってしまうのを許してもらいたい。)こうして旧版との関連を見つけ、そこに隠された意味を見つけるのも一つの楽しみであることを伝えたい


最後に、ガッチャマンクラウズを放送し、木曜日と金曜日限定ではあるが日テレオンデマンドで最新話無料公開してくれている日本テレビに一言贈り、この考察の締めとする。






も  っ  と  宣  伝  し  ろ  !